Apr 13, 2012
Feb 22, 2012
感動したお話し
幼い頃に父が亡くなり、母は再婚もせずに俺を育ててくれた。学もなく、技術もなかった母は、個人商店の手伝いみたいな仕事で生計を立てていた。それでも当時住んでいた土地は、まだ人情が残っていたので、何とか母子二人で質素に暮らしていけた。
娯楽をする余裕なんてなく、日曜日は母の手作りの弁当を持って、近所の河原とかに遊びに行っていた。給料をもらった次の日曜日には、クリームパンとコーラを買ってくれた。
ある日、母が勤め先からプロ野球のチケットを2枚もらってきた。俺は生まれて初めてのプロ野球観戦に興奮し、母はいつもより少しだけ豪華な弁当を作ってくれた。
野球場に着き、チケットを見せて入ろうとすると、係員に止められた。母がもらったのは招待券ではなく優待券だった。
チケット売り場で一人1000円ずつ払ってチケットを買わなければいけないと言われ、帰りの電車賃くらいしか持っていなかった俺たちは、外のベンチで弁当を食べて帰った。
電車の中で無言の母に「楽しかったよ」と言ったら、母は「母ちゃん、バカでごめんね」と言って涙を少しこぼした。
俺は母につらい思いをさせた貧乏と無学がとことん嫌になって、一生懸命に勉強した。
新聞奨学生として大学まで進み、いっぱしの社会人になった。結婚もして、母に孫を見せてやることもできた。
そんな母が去年の暮れに亡くなった。
死ぬ前に一度だけ目を覚まし、思い出したように「野球、ごめんね」と言った。俺は「楽しかったよ」と言おうとしたが、最後まで声にならなかった。
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三年前に親父が死んだんだけど、ほとんど遺産を整理し終えた後に親父が大事にしていた金庫があったんだよ、
うちは三人兄弟なんだけどおふくろも死んじゃってて、誰もその金庫の中身を知らなくてさとりあえず兄弟家族みんな呼んで、その金庫をあけることにしたんだけどこれがまた頑丈でなかなか開かないんだよ。
仕方ないから鍵屋を呼んで開けてもらうことにしたんだけど、なかなか開かなくてさなんとなく俺たちは子供の頃の話を始めたんだよ、親父は昔からすごい厳格で子供の前で笑ったことも一度もなくて旅行なんてほんとにいかなかった子育てもお袋に任せっきりで餓鬼の頃はマジで親父に殺意を覚えたよ
んで、一番下の弟が、そういうわけだからしこたま溜め込んでるんじゃねえか?みたいなことを言い出して、その後に真中の弟も親父が夜中に金庫の前でニヤニヤしながらガサガサやってんのを見た とかいったから俺もかなり金庫の中身に期待を抱いちゃったんだ。
んで、そのときに鍵屋がちょうど「カギ、開きましたよ」といったからワクワクしながら金庫の前に行き、長男の俺が金庫のドアを開けたんだ。
そしたら、まず中からでてきたのは、古びた100点満点のテストなんだ。
それをみた一番下の弟が「これ、俺のだ!」といって俺から取り上げたんだよ
次に出てきたのは、なんかの表彰状、すると次は次男が”俺のだ”といいだして
その後にネクタイが出てきたんだ、見覚えがあるなあと思って
気がついて叫んじゃった「あ、これ俺が初めての給料で親父に買ってやったネクタイだ」
その後に次々と昔の品物が出てきて、最後に黒い小箱が出てきたんだよ
その中には子供の頃に家の前で家族全員で撮った古い写真が一枚出てきたんだ
それを見た俺の嫁さんが泣き出しちゃってさ、その後にみんなもなんだか
泣き出しちゃって、俺も最初は、なんでこんなものが金庫のなかにあるのかが分からなくて
なんだよ、金目のものがねーじゃんとか思ってちょっと鬱になってたんだけど
少したって中に入っていたものの意味が理解できたとき、その写真を持ちながら
肩震わして泣いちゃったんだ。人前で初めて本気で号泣しちまったよ
そこで鍵屋が、きまずそうに「あの、私そろそろ戻ります」とかいったんで
みんなが、はっとして涙をにじませながら「ありがとうございました」
このとき、俺は親父がどんなに俺たちのこと想っていてくれたかと
さっきまでの自分が金目当てで金庫を開けようとしたこと
子供の頃に親父に反感を抱き、喧嘩ばっかりしたことが恥ずかしくて仕方がなかった
親父は金よりもほんとうに大事なものを俺たちに遺していってくれたと思っている。
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ちょっと泣けた夜だったんで書いてみます。
今日は結婚記念日でカミさんと外食した。
レストランはそこそこに混んでいてガヤガヤうるさかった。 特に隣の家族がうるさくって、カミさんとちょっと顔を見合わせて苦笑いをしたぐらいだった。
父親が子供にいろいろ質問しては笑い、っていうのがえんえん続いてこっちもうんざりしてた。 しかも、その父親がやたらと大きく咳き込むので実際鬱陶しかった。
しばらくすると、ウチのカミさんがその家族の父親を見て、「ちょっとあのお父さん見て」と 言うので、見つめるのも失礼なので向いの鏡越しに彼の後姿をみてみた。
咳き込むたびに ハンカチを口に当てていて、それをポケットにしまうのが見えた。ハンカチは血だらけだった。 咳き込んだあとは赤ワインを口に含んで子供たちにばれないよう大声で笑いごまかしていた。
向いに座っていた彼の奥さんは笑っていたが、今にも泣きそうな顔をしていた。 奥さんはどうやら事情を知っているみたいだった。その父親が何らかの重い病気なのは明らかだった。うちのカミさんはちょっともらい涙していた。
帰りに俺は無神経にも「今日はなんか暗い結婚記念日になっちゃったな。台無しだよな」 とカミさんにいった。
カミさんはちょっと沈黙を置いて、
「かっこよかったじゃんあのお父さん。ああいうお父さんになってね」
って涙声で俺に言った。俺もちょっと泣いた。
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「ありがとう」って言いそびれたヤツいる?
http://pya.cc/pyaimg/pimg.php?imgid=6133
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Feb 21, 2012
出所不明の泣ける話し
俺んち母子家庭で貧乏だったから、ファミコン買えなかったよ。。。
すっげーうらやましかったな、持ってる奴が。俺が小6のときにクラスの給食費が無くなった時なんて、
「ファミコン持ってない奴が怪しい」なんて、真っ先に疑われたっけ。
貧乏の家になんか生まれてこなきゃよかった!って悪態ついたときの
母の悲しそうな目、今でも忘れないなぁ、、。
どーしても欲しくって、中学の時に新聞配達して金貯めた。
これでようやく遊べると思ったんだけど、ニチイのゲーム売り場の
前まで来て買うのやめた。そのかわりに小3の妹にアシックスの
ジャージを買ってやった。いままで俺のお下がりを折って着ていたから。
母にはハンドクリーム買ってやった。いっつも手が荒れてたから。
去年俺は結婚したんだけど、
結婚式前日に母に大事そうに錆びた ハンドクリームの缶を見せられた。
泣いたね、、。
初めて言ったよ「生んでくれてありがとう」って。

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今日、凄いのを見た。
街で若いカップルの女の方が俺を見て、「見てアレw キモくない?」
とか、私を指差して笑ってたんだが、男の方はそんな女を嫌な顔で見てて
「ねぇ、見てみなよw」としつこく言う女の頬を平手打ち。さらに
「お前の性格の方が最低だな。二度と連絡すんな」的な言葉を吐き捨て、そのまま颯爽と一人何処かへ
マジで格好良かった。と同時に、涙目で困惑顔の女を見てなんだかすっきりした。
もちろんプレイしてたのはPSP 。

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もう10年も前の話。
妻が他界して1年がたった頃、当時8歳の娘と3歳の息子がいた。
妻がいなくなったことをまだ理解できないでいる息子に対して、
私はどう接してやればいいのか、父親としての不甲斐なさに悩まされていた。
実際私も、妻の面影を追う毎日であった。
寂しさが家中を包み込んでいるようだった。
そんな時、私は仕事の都合で家を空けることになり、
実家の母にしばらくきてもらうことになった。
出張中、何度も自宅へ電話をかけ、子供たちの声を聞いた。
2人を安心させるつもりだったが、心安らぐのは私のほうだった気がする。
そんな矢先、息子の通っている幼稚園の運動会があった。
“ママとおどろう”だったか、そんなタイトルのプログラムがあり、
園児と母親が手をつなぎ、輪になってお遊戯をするような内容だった。
こんなときにそんなプログラムを組むなんて・・・
「まぁ、行くよ♪」 娘だった。
息子も笑顔で娘の手をとり、二人は楽しそうに走っていった。
一瞬、私は訳が分からずに呆然としていた。
隣に座っていた母がこう言った。
あなたがこの間、九州へ行っていた時に、
正樹はいつものように泣いて、お姉ちゃんを困らせていたのね。
そうしたら、お姉ちゃんは正樹に、
「ママはもういなくなっちゃったけど、お姉ちゃんがいるでしょ?」
「本当はパパだってとってもさみしいの、」
「だけどパパは泣いたりしないでしょ?」
「それはね、パパが男の子だからなんだよ。まぁも男の子だよね。」
「だから、だいじょうぶだよね?」
「お姉ちゃんが、パパとまぁのママになるから。」
そう言っていたのよ。
何ということだ。
娘が私の変わりにこの家を守ろうとしている。
場所もわきまえず、流れてくる涙を止めることが出来なかった。
10年たった今、無性にあの頃のことを思い出し、また涙が出てくる。
来年から上京する娘、おとうさんは君に何かしてあげられたかい?
君に今、どうしても伝えたいことがある。
支えてくれてありがとう。君は最高のママだったよ。
私にとっても、正樹にとっても。
ありがとう。

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二人で部屋でマッタリしていると、ヒマすぎてしりとりが始まった。
「りんご」「ごりら」「らっぱ」「パラソル」「ルビイ」・・・
数十回続き、スピードが次第に落ちてくる。
そして、オレの番のお題が「け」で回ってきた。
オレ「け・・・け・・・」
女 「はやくー、『け』なんて簡単じゃんー」
オレ「け・・・け・・・結婚しよう・・・」
女 「・・・・・うん」
オレ「『ん』がついたからお前の負けだぞー」
女 「負けちゃったけど、すっごくうれしい事あったからいいもん!」

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Feb 13, 2012
ダメなら変える
久しぶりの更新になってしまいました。
SNSの方では盛んに投稿(あくまでただの独り言です)吐いていますのでご興味ある方はTwitterをフォローください。アカウントはKoga2009です。Facebookは自動リンクで放置、あまり開いてもいないのでご迷惑をかけるかもしれません。
僕の基本的スタンスは変わっていません。
超拡大志向です。その為に「どうやって、いかにして意欲を持ってもらえるか」を日々考えています。
戦闘力はいつもMAXです。
Jan 11, 2012
SOS(スキー、スノーボード、温泉、夏はテニス)旅行の写真追加

冬のSOS旅行の写真を6枚追加しました。
会社創業から唯一、定期的(夏・冬)に行われる有志による社員旅行で、その時の新人が幹事を務めることが多く、企画力やホスピタリティーと同時に金銭管理などを学ぶ儀式的旅行である。
今回は草津国際スキー場1月7日~8日に行われ大そう盛り上がったそうな。
今年の夏はビーチバレー大会を提案してみようかな。
Jan 10, 2012
Starting the year 2012

Last year, that massive earthquake hit Japan on March 11, during our sluggish economy growth by super strong yen and low stock prices, and the chaotic political regime.
Our country seemed like the aspect of postwar conditions.
Also from a global perspective, Occurred one after another were the European Crisis, and the social phenomena which remind us of the Prague Spring, and the collapse of modern democracy.
It seems that the accelerations of changes are gotten increased more and more every year.
We, the SFJ Group, had struggled frantically for survival since Lehman’s fall in 2008, and as a result, our executive search business has gotten stable for the most part.
Furthermore, SFJ Holdings Co., Ltd. could fulfill our long-held dream of exceeding 100 billion yen annual turnover, and my personal numerical target could be achieved in number.
But actually that is a far cry from enjoying a sense of fulfillment, and we still have a lot of trouble.
Me who live in this age, What do I have to do now and from now on?
I am still thinking about that.
But as long as I live, I would like to live for others with seeking after something always.
I am always grateful to you all.
Dec 26, 2011
近況報告
Twitterで呟いてばかりで、Blogを書かなくなると「最近どうしてる?」との声が多くなるので、たまには近況など。。
クリスマスに毎年焼いているチキン。今年は知り合いやご近所さんなどに配った。三時間かけて釜戸で炭火焼きするので油が落ちてヘルシーなうえスモーク気味に仕上がり美味いのです。

最近、バスケやってます。一対一では誰にも負けません。理由は審判がいないからです。

先日知り合いから「鹿肉の刺身」を戴きました。ハンターから分けてもらったそうで解体したばかりの新鮮な生肉でした。この後、猪の塩焼きも食べて、獣になった日でした。

マイクリスマスイルミネーション 街のど派手なやつはあまり、、、
http://www.youtube.com/watch?v=6mXM-oGggrM&feature=player_embedded
仕事の方は徐々に上げてます。まあみちょってください。
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Dec 22, 2011
経営再建策
この不景気で事業がうまくいかずに会社が倒産、閉鎖など暗い話題が本当に増えてきた。業種業態によって違いはあるものの、会社がおかしくなってからでは魔法の手立てなどあるはずもない。予測をたてるのは経営者の一番の仕事であるのに、夢とかビジョンとか浮ついたこと言うのも良いが資金繰りくらい見通せなければ話しにならない。
会社再建策とはつまるところこれしかない。
①売上拡大
②販管費削減
③財務体質改善
①売上拡大
それができれば苦労しない。と思われるならまだ拡大できるはずである。平和ボケした日本の営業マンは危機感に乏しく誰かがやってくれると思っていて、本質的に会社は「稼ぐ」機関であるはずなのに、NPOで社会へ奉仕活動している気分の連中が極めて多い。連中のけつをたたき「売れるまで帰ってくるなあ!」的な気合がまず絶対足りてないはずだから、この点の意識改革を施す必要がある。この期に及んでシステマチックにマーケティングやりだしたって売上げは減少していくだけなのに。
②販管費削減
経営者が考えることは究極を言えばこれだけでいい。ところが、100円くらい中身がなんだか分からなくても決済してしまうその姿勢が末端まで広がり、如いては経営者自身が経費削減出来る情報を見逃すことに繋がっている。
人件費に関しては、もはや固定費の時代ではない。流動費と考えるべきである。「いや~それだけはできない」と思うなら、従業員の労働量を上げなければならない。徹底的に働かせて出来ないとは絶対に言わせない。これにより間違いなく社員のスキルは上がり生産性は上がる。
③財務体質改善
三番目に書いた理由は作業に時間がかかるから。本来は一番最初にやらなければならないことだが、日本の経営者は大抵が財務音痴だから時間がかかる。銀行との金利交渉、借り換えを検討する、その為には資金繰り表、BS、Cフロー表を日々その動きに目配りすることが必要。内部留保金が半年分の経費と同じになるまではこれを続けなければ会社なんていつ倒産してもおかしくない。
これらは本来、平時においてもやらなければならないことである。会社経営が危なくなったということはつまりこれらが出来ていなった証拠である。よって危機を打破するにはこれらを徹底してやればいい。
生き残るには戦うしか道はない。
Dec 02, 2011
介護問題
高齢化により介護問題が次第に深刻さを増しているようだ。
特に認知症に関しては、薬もこれまで1種類(アリセプト)しか認められていなかったが昨年から3種類(レミニール、メマリー、イクセロン湿布薬)の新薬が認可されたそうで、多くは治療というよりも「介護」で対処するしかない状況である。
家族が見つけられる高齢者の認知症症状の簡単な目安は以下
①同じ事を何回も言ったり聞いたりする。
②物の名前が出てこなくなった。
③置き忘れやしまい忘れが目立つ。
④以前はあった関心や興味が失われた。
⑤日課をしなくなった。
⑥だらしなくなった。
⑦時間や場所の感覚が不確かになった。
⑧財布を盗まれたという。
⑨ささいな事で怒りっぽくなった。
おやっと思われる人は多いはず。そう自分にも当てはまる項目がいくつもあるからだ。決して他人事ではなくて程度の差はあれいずれ訪れるものなのだから、正面から考えておく必要がある。
ところで、犬も痴呆症はあるのだろうか?特に研究されている節もないし、目や足がだめになる話しはよく聞くが、せん妄(譫妄)、妄想、幻覚の類は犬にもあるのできっと痴呆症もあるのだろう。
愛犬は来年6歳なので超大型犬では完全に老犬といえる。体重85kgで寝たきり状態は相当な介護負担になろう。今から覚悟はしておかねばならない。

しかしながら犬などの動物は自分の死ぬ場所を選ぶとも言われているので、動物の介護は人間側の都合とも言えなくはないが、愛犬はもはや家族同然であるという感情だけはどうすることもできない。
尊敬するムツゴロウさんによると、飼っている動物が亡くなったときはこう思うようにしているそうだ。
「え~い!元気出せ!!」
話しを戻し、人間の介護の問題。
介護者が介護のために燃え尽きてはならないと思う。
身うちの介護に疲れどれだけ多くの介護者が悲惨な生活を送りそして最悪の結果を招いてきたかを報道で知る限りであるが胸が痛む。
ショートステイを利用したり、施設を利用して介護者の負担軽減を少しでも減らすために国は、積極的に取り組んで欲しい。
賭博で100億もつぎ込む人間も明日をも喰う事に事欠く人間と同じ負担率と言うのでは、国民感情が許さないであろう。
弱者救済が国の役目であるなら介護には、貧富による差別は、許されるべきであろう。
Nov 25, 2011
「母へささげる私の誕生日」 読売新聞より
「母へささげる私の誕生日」
先月29日は私の誕生日だった。去年は、チョコレートシフォンケーキを用意して待ってくれていた母に私は、「えーっ、バニラのほうが好きなのに」。目も悪く、体が丈夫でない母が一生懸命歩いて探してきてくれたのに、わがままな私は、いつも「えーっ」と言ってばかり。
本好きな私のために図書券を用意してくれた時も、「こんな年で誕生日に図書券って、やだね」なんて言ったこともあった。
でも今年になって初めて分かった。誕生日は自分のためにあるんじゃない。産んでくれた母に「ありがとう」と感謝する日なのだと。
母は3月の震災で逝った。迫りくる波を背にしながら、私の娘を車に押し込み、「生きろ」「バンザイ」と叫んで流されていった。そう後から聞かされた。
母に誕生日の報告をするため、携帯電話にある「ババ」の番号にかけた。そして、大きな声で言った。「お母さん、産んでくれて本当にありがとう」
●今朝の読売に反響記事が掲載されています。僕もこんな一生をおくりたいと思います。

